日本での数々のであい

「喜びの源泉を、生活の中で発見できるだろうか」
各地の教会と大学で

この問いは、今年の4月から5月に日本で行われた集いの中心におかれたものです。これらの集いの多くは、それぞれの地域の教会で行われました。長崎のカトリックセンター、下関の細江教会、岡山県の倉敷教会、大阪では庄内キリスト教会と大阪聖三一教会、名古屋では聖マタイ教会です。このすべての場所において、各教会のメンバーが積極的に集いの準備に携わっていました。倉敷では、若い信徒が、リーダーとして週末の集いを統括しました。彼が宿泊所の世話をしている間、青年たちは食事を準備し、他の人々は祈りの進行を助けました。下関では、ある家族の母親がオルガンを弾いている間、子供の一人はトランペットを、もう一人はヴァイオリンを演奏しました。長崎では、教区の合唱団が歌を主導しました。参加の案内は、異なる教派の教会にも届けられました。フィリピン、ポーランド、スペイン、ブラジルからの若い宣教師が共にいたことで、この集いには教会の普遍性という特質も与えられました。

 大学の企画による集いも、多く開かれました。東京では、学生キリスト教友愛会(Student Christian Fellowship 略称SCF)の学生が、日本基督教団学生青年センターで、カトリックの学生と共同の集いを開きました。他に、青山学院大学、上智大学、聖心女子大学、関西では関西学院大学。名古屋では、柳城短期大学で短い集いを開き、仙台のエマオ・センターでは学生たちが3日間のプログラムを通して出会いました。

これらの集いを通して際立っていたのは、人々から活力が失せ、生きる意味をより深刻に捜し求めているこの社会の中で、内的な生活へのはっきりとした渇望です。ブラザーロジェの『テゼからの手紙』(喜びの源泉へ)の中で挙げられた問いに応答しようとするとき、この喜びの泉をどこで見つけることができるでしょうか。この日本では、それは明らかです。教会があり、地域での集いがあり、学生寮があり、司牧センターがあり、これらはすべてその中に、人々が道を見出すために必要なものを備えています。これらの集いの体験から、私たちは神の言葉である祈りが、まぎれもなく喜びの源であること、教会も、あの学生会館のようにそのような祈りの場に変えてゆくことができると言うことができるのです。

連帯と憐れみ

しかし、同じく大切な喜びの源は、連帯と共感です。この旅の最初の場であった福岡にある美野島司牧センターへの訪問と出会いは、とても印象深いものでした。このセンターでは、薬物中毒から回復途上にある若者たちを迎え入れています。10人の若者がここで生活し、リハビリのプログラムに加わります。彼らは、病院から、刑務所からここに派遣されます。さらに、彼等の何人かは、家族も共に参加します。

毎週火曜日、食事がホームレスに与えられます。時には250名もの人がいます。配給は教会で行われます。ベンチが脇へよけられ、違った教会から、ノンクリスチャンも含め、手伝いに来ます。古着のバザーのようなものもあり、そこで人々は必要なものをとることができます。このセンターには他国人をもてなす事務所があります。特にペルー人です。この国は、人手と労働力を必要としていて、日系南アメリカ人のところに出稼ぎに行きます。あるものは一人で来て、あるものは家族と一緒に来ます。あるものは日本人の女性と結婚します。問題は尽きず、このセンターは彼らが可能 な限り解決を見出すようにと助けます。彼等の多くが、ここで日曜日に会い、スペイン語のユーカリスト(ミサ、聖餐)のために、日曜日にここで会います。

毎週、アルコール中毒者やそのほかの薬物中毒をわずらっている人々の集いがあります。このセンターでのこの活動は、とても真剣で、指導者はここに来てもう10年になるParis Foreign Missions(MEP)の聖職者です。例えば自殺のような悲劇的な出来事が起こるとき、彼の責任はとても重大です。

 仙台のエマオ・センターでは、そこで行われている多様な活動に参加し、それらはとても素晴らしいものでした。ちょうど5日前に男の子を授かった、バングラデシュ出身のある女性と出会いました。彼女の夫は、ある飲食店で働いていましたが、最低の賃金で扱き使われました。彼は必死になって他の仕事を探す必要がありました。バングラデシュから来た一人のムスリムの学生がその通訳をし、センターのボランティアがその女性に日本語を教えることを申 し出ました。

 重い障碍をもつ人のケアのために造られた住宅があり、そこは入居者ができる限り自立することをねらいとしています。ある男性は、下半身不随で一日中介護が必要です。学生たちは交代で、彼を助けるために共に夜を過ごします。そして25人のグループが、彼の食事の切り盛りをします。

精神または知覚に障碍をもっている子どもたちとともに「おもちゃ図書館」を開いている母親たちのグループへの訪問もありました。幾人かの母親は、自分の子供が障碍をもっているのでここにいます。一方、他の母親たちは、その問題に気付いているので、ここにやってきます。この催しのねらいは、子どもたちと「自由な」時間を過ごすことです。つまり、一緒に遊ぶことで、子どもたちが演じることを期待される場として学校との、釣り合いをとることを目指しています。

日本の多くの教会や教区が、アジア諸国での連帯のプロジェクトを行っています。そして、インドやバングラデシュで過ごしたことのある若者や、フィリピンやバングラデシュで働きに行くために準備している若者たちと出会うことは、珍しくありません。この寛大さ、そしてしばしば自分自身を徹底して差し出すこと、それは、日本が鎖国して孤立していた200年間を通して殉教した数知れないクリスチャンの人生に根ざしていることは疑うことができません。

信仰を拒否するよりも

大分県のSugaoの近くに訪問しているとき、ある若い日本基督教団の牧師とともに、過去のクリスチャンが夜に隠れて祈りに来ていた場所への、小さな巡礼がありました。岩に、十 字架が刻まれていました。

日本での訪問全体の最もよい機会は、山口県の津和野での2つの夕の祈りでした。乙女峠の盛大な巡礼の準備。19世紀、日本が再び他の国に対して自らを開いた時代のあと、クリスチャンは、信仰を捨てるよりも、死を受け入れました。この巡礼は毎年5月3日に行われ、この日はゴールデンウィークにあたります。若者たち、そして児童たちが、この夜、津和野に到着しました。青年たちのグループが、15キロの道のりを歩いて祭壇に着きます。彼らが着くと、夜の祈りが始まります。若者たちの祈りの後、成人の人々のための祈りがあります。彼らは様々な教区から参加しています。この祈りが始まる前に、それぞれの代表 が自己紹介をして、この巡礼に来た人の土地の名前を聴くことで、すべての人が教会のより広い次元に気付きます。そして、しばしばこれらの人々は各自の地域でとても孤立していると感じています。

全く違ったレベルで、しかしながらとても重要な、日本語によるテゼの歌の新しいCDの録音がありました。関西や長野など遠方から来た者を含む、30人以上の若者たちが、週末全体を歌い、楽器を演奏してすごしました。それぞれの人が、彼らが受けた才能 をこの録音にささげました。

この週末を準備した人々は、この録音をするのに最適なリトリートの家を選び、そしてこのCDはまぎれもなく祈りのこもった雰囲気によって作られました。日に3回の共同の祈りと、夜の長い沈黙が、この週末を、リトリートのように、そして、すべての人にとってとてもユニークな経験にしました。CDは9月に発売される予 定です。

日本

ブラザー・ロジェが、幾年も前から世界の若者たちに毎年書き送っている手紙は、いつも招きであり、同時に確認でもあります。
2003年の手紙の招きの一つは、「悲しみの衣を脱ぎ、神から与えられる喜びで飾れ」という言葉で表現されています。和歌山県にある「愛の園」では、聖公会のシスターたちの共同体が老人ホームを経営し、同時に、沈黙の時を過ごしたいと望む人々のグループを迎えています。そこで、「内なる祝祭」を中心テーマとして、黙想会が行われました。今年は、日本では、春分の日に始まる長いウィーク・エンドがあったため、若者たちには自由な時間が取れました。イラクでの戦争が始まって間もない時に、喜びや内なる祝祭について話すことは一つの挑戦でしたが、国際的な状況のためだけではなく、他の国々と同様、日本も経済後退を体験していますので、その挑戦には応えなければなりませんでした。黙想参加者のなかに、幼い2人の子供を持つ若い母親があり、彼女の夫は職を失ったばかりでした。個人的な問題を抱え、苦しい状況の中に置かれている参加者たちもいました。
 しかし、共同の祈り、沈黙、祝祭 - 祭りのイメージ - をテーマとする聖書に関する考察を繰り返し、同じテーマのバッハのカンタータを聴き、祝祭の意味についての体験を分かち合っていくうちに、参加者は、困難な時を通り抜け、勇気を取り戻し、立ち直り、おそらくは解きほぐせないと思われる状況にさえ直面することができるような状態へと導かれていきました。
 二つの要素が、「神から与えられる喜びで飾る」ための道を示してくれました。まず、「神は愛、ただ愛」という手紙のタイトルです。このタイトルそのものが、道なのです。ところが、思いがけなく、三ヶ月にも満たない幼子が、参加者の心を喜びに向けて開いてくれたのです。この子の両親は黙想企画者のグループに入っていましたが、どうしてもこの子を黙想会に連れていかざるを得ませんでした。黙想期間中、チャペル、集会室、炊事場などでこの子の静かな存在、両親が、炊事をしながら或いは歌を準備しながらこの子に示していた優しさ、そのすべてが、見る人の心に自ずと語りかけてくれました。黙想後に受け取ったメッセージが、そのことを証言していました。

 ブラザー・ロジェの手紙には、招きと同時に、常に確認も含まれています。今年の日本滞在中に出会った若者たちの多くは、これまでに出会った若者たち以上に、彼らが探し求めていることのうちに自らの姿を見たと感じていました。つまり、不安感のうちにありながらも人生の意味を探し求め、また希望を渇き求めているところに自らの姿を見たのです。もちろん、イラクでの戦争、新型肺炎など、国際的なすべての出来事が、この不安感を増大させました。しかし、不安感はそれ以前にすでに存在していたのです。その上に空白感が加わり、それが若者たちを極端な行動に走らせることになります。黙想の前の週には、種々の出版物がこのことについて語っていました。しかし、このような状況のなかで、わたしが出会った若者たちとその同伴司祭たちは、自らは意識しませんでしたが、希望のしるしとなっているのです。
 関西学院大学では、今年の8月にテーゼに来る準備をしている学生たちと出会いました。彼らのほとんどが、当大学が計画・支援したフィリピンの貧しい家庭のための家の建築に参加したことのある人たちでした。この出会いの折に、学生たちは、体験を分かち合ってくれました。この分かち合いを糸口として、彼らは、人生の意味について、幸せの源泉について考えるようになり、次のように自問し始めました。「わたしの人生において、どこに真の安全性があるのだろうか」と。彼らのなかには、キリスト教徒とそうでない人がいるにもかかわらず、彼らは定期的に集まって、共に祈っています。大阪の飛び地である釜が崎に住んでいるのは、ホームレスの方々だけだと思われますが、そこには多くのボランティアが、食料や毛布を配ったり、治療を施すために集まってきます。イエズス会士によって管理されている小さなセンターに、定期的に援助にやってくる若い学生たちが、祈るために集まってきました。仙台のクリスチャン学生センターは、諸大学同様、ネパール、バングラデッシュ、インド等への旅行を計画しています。これらの旅行を通して、学生たちはある時は何かの体験をし、またある時には何かの計画に非常に具体的に協力します。
東京では、国際キリスト教大学、聖心大学、立教大学、青山大学、上智大学などの学生指導司祭を訪問しました。この訪問によって、指導司祭と彼とチームになって働く方々が、非常に多くの若者にめまいを起こさせている空白を埋めるために、彼らに霊的体験の機会を与えようとして、どれほど心を配っておられるかを見ることができました。
 これらの訪問の機会に、若者を二つの会合に招くこともできました。一つは、カトリックセンターである真生会館での会合、もう一つはキリスト教学生連盟の会合への招きです。同時にこの二つの会合への呼びかけをしましたので、種々の宗派の若者たちが、二回の祈りの集いにやってきました。多くの若者が何かの楽器を弾きますから、祈りを準備しながら、彼らはお互いに知り合いになるし、神から受けた才能を分かち合うことにもなりました。同時に、これは希望の小さなしるしにもなりました。このようなことはこれまでになかったからです。
 ある日の夕方、「東京ユース・デイ」(東京の若者の日)の企画を担当している若者たちが、準備会合の日に、いつか、一日の仕事が終わった時、瞑想的な祈りの時間を設けたいという希望を表明してきました。
 池袋のルーテル教会でのある日の午後の会合に、若いカップルたちの家族が集まり、祈りに参加することができました。
 広島では、毎年、若者たちが、少年少女たちのためのキャンプを企画し、広島、岡山、山口の三県から参加者が集まって祈りました。数日後、同じような会合が、前橋から車で1時間かかる山中で開かれました。群馬県の若者たちのグループもそこに参加しました。
 静岡では、あるグループがテーゼに行く準備をしていますが、種々の宗派の小教区が、聖公会の教会での素晴らしい祈りの集いを計画していました。ラルシュの共同体の一つであるカナの会の障害者は、夕べの祈りの集いに参加しました。わたしと二人の同伴者は彼らの家でその夜を過ごすよう、招待を受けていましたので、その機会に彼らと共に過ごし、アトリエで行われている素晴らしい作業にも参加することができました。そこでも若者たちは、障害者に関わるために、また彼らが受けている芸術的な才能の分かち合いに与るために自分たちの時間を提供しています。
誰でも、希望のしるしにいったん注意を向けると、あらゆるところにそれを見出すようになるものです。東京に住み、毎週、エンマウス共同体と協力するか或いは、動けない高齢者を援助する組織の中で働く一人の若い女性と協力して、小さな家に住んでいる高齢者を訪問しているフランス人の若い国際協力隊員たちについても、同様のことが言えます。
 その他にも、ある司牧センターを訪問しました。それは海外、特にフィリピンやラテン・アメリカからやってきた移住者を対象としたものです。更に、ある小教区に、25年まえから常住し、麻薬や刑事犯罪に続く問題或いは、個人的に落ち込んでいる人など、難問を抱えた若者を常時迎えている一人の司祭がいますので、その方を訪問しました。今回は、イラクから逃げて来た人が一人いました。彼と共に、テレビでニュースを見、彼の国の爆撃の模様を見ることは、生易しいことではありませんでした。しかし、この司祭館で、彼は心からのもてなしを受け、慰めを見いだしているのです。

「世界のもっとも深刻な問題の中にさえ、わたしたちは、疑うことのできない希望のきざしを見ているのではありませんか?」

Printed from: http://www.taize.fr/ja_article1664.html - 23 August 2019
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