生きた水を求めて

この夏、関西学院大学(兵庫県)から5名の学生と1名のチャプレンのグループがテゼを訪問した。以下は、同行したチャプレンによる旅の感想。(打樋啓史:社会学部宗教主事。現在、研究期間でロンドン在住)

日本の学生たちのテゼ訪問

わたしが初めてテゼを訪れたのは21歳のときでした。そしてこの夏、その時のわたしと同じ年頃の5人の学生たちと一緒にテゼを訪問しました。ですから、この訪問は最初からわたしに特別な印象を与えてくれました。「あれから15年が経った。今、自分は大学のチャプレンとして働き、彼らは学生たちだ。でも、そのような年齢や立場の違いを超えて、このようにひとつの巡礼の旅を共に歩む仲間になれるとは何という喜びだろう。」
最初、なぜ学生たちがキリスト教共同体であるテゼを訪問したいと強く願うのか、その理由がはっきりとは理解できませんでした。大多数の日本人と同じく、彼らの内の何名かはキリスト者ではなく、その他の特定の宗教を信じているわけでもありません。また、日本からの学生のグループがテゼを訪問するということは、これまでにあまりなかったことだと思います。しかし、1週間のプログラムを彼らと共に過ごす内に、わたしは気づいたのです。彼らにテゼ訪問の「理由」を問うことが、そもそもの間違いであると。それはあまりにも論理的な問いだったのです。彼らと共に過ごす中で、少しずつ感じるようになりました。神は一人一人の深みに密かに働きかけ、隠された仕方でそれぞれの人生に美しいこと行なわれるということを。

週のはじめ、何人かの学生たちは、想像をはるかに超える大勢の人々がテゼにいることに少し困惑しているようでしたが、2、3日たつと、皆そのことにも慣れ、他の国々から来た若者たちと友達になっていきました。そうして、1日3回の祈りを楽しみ、多くのことを他の人々と分かち合う中で、彼らの顔が輝きを増していくのがわかりました。
そしてわたしは、このような体験に対する彼らの渇きがどれほど深く真摯なものであったかを改めて認識したのです。それは、日本の忙しい競争社会に生きる中で、彼らが内に抱いていた渇きでした。ただ単純に立ち止まり、沈黙の中であるがままの自分として存在することへの渇き。豊かな交わりの体験の中で、生きる意味を他者と素朴に分かち合うことへの渇き。
祈りの中で“De noche”(「夜、生きた水を求めて、暗闇の中を歩くとき」)という歌を繰り返して歌いながら、私は思いました。この学生たちは―そしてわたし自身も ―、それぞれの「夜」を生きていたのではないかと。しかし、自らの「夜」に気づくとき、この歌の歌詞が表すように、「渇きこそがわたしたちを前進させてくれる」のです。おそらく、わたしたちが一緒にテゼに旅したのは、このような共通の渇きに突き動かされたからではなかったかと思います。この渇きは、ある意味で「宗教」という枠組みを超えて、すべての人間存在の最も深いところに息づいているのでしょう。

学生たちはテゼでの祈りがとても好きでした。様々な言語が用いられるので内容のすべてを理解することはできなかったようですが、いつも祈りの時を心待ちにしていました。とりわけ彼らは、歌を何度も繰り返して歌うこと、沈黙の時、そして教会の中に置かれた様々なシンボル―美しい仕方でわたしたち自身を超えるものを指差すシンボル―を眺めるのが好きでした。キリスト者である一人の学生(男性)は、テゼでこう語りました。「日本での生活の中で、信仰が時々とても複雑なものに思えることがあります。そしてしばしば、『善いキリスト者』になるためにあまりにも多くの条件があるように思ってしまうのです。でも、ここでの祈りの時間に、沈黙の中で教会の正面に吊るされた布の色を眺めていたとき、『そうではない』と感じました。今は、神が共におられ、ただ単純にわたしたちを愛しておられると感じます。そして、わたしに必要なただひとつのことは、そのことに信頼することです―ただ単純素朴に。何か偉大なことや特別なことを成し遂げることではないと思います。こう気づいたことは、キリスト者として日本で生きていく上で大きな励ましになりました。」

日本語を話せる2人の女性たち(中国とポーランドから来た人たち)を見つけることができたのは、嬉しい驚きでした!彼女たちは、小さなグループでの話し合いの時に学生たちの通訳を手伝ってくれました。この話し合いの中で、深い仕方で他者と出会い、互いに耳を傾けあうのは、学生たちにとってとても貴重な体験でした。一人の学生(女性)は日本に帰ってからこう記しました。「他者と出会うとき、まず国籍、文化、肌の色などの違いについて考えてしまいがちです。もちろん、それも大切なことです。でも、そのような違いにあまりにも気を取られてしまうことが、心のレベルで他者と出会うことの妨げになることがあります。先入観に縛られて、ただ単純にその人と友になることが難しくなってしまうのです。テゼでの分かち合いで印象的だったのは、『その人がどういう人か』ということが最も大切にされていたことです。他者と出会うときに本質的なことは、単純にあるがままのその人と出会うことだと学びました。そして、その人が何を考え、どう生きようとしているかが重要なのです。そのような心のレベルで他者と出会うことが、その人の歴史的、文化的な背景についてよりよく学ぶことの出発点になると思います。友達のことをもっとよく知り、その考え方や生き方をより深く理解するために、その人の国や背景や文化について尊敬と信頼をもって学びたいと願うのは、ごく自然なことだからです。」
このことについて、特に韓国から来た青年たちとの出会いの中で鋭く気づかされました。近年、ある程度の変化が見られるものの、二国間の歴史的背景のゆえに、日本人と韓国人が友として出会い、語り合うのが難しいという状況がずっと存在してきました。しかし、テゼの雰囲気の中で、互いが暖かく出会い、今取り組んでいることや将来への希望について深く語り合うことができたのです。そして、このような貴重な出会いが、確かにわたしたちにとって、韓国と日本の歴史について今後より深く学んでいくためのひとつのきっかけになったと思います。

文化交流の時間は、学生たちにとって美しい体験となりました。「日本の茶」( “Tea from Japan”)と題されたこのプログラムで、学生たちは日本について、日本の教会について語り、日本の代表的な歌を歌い、片仮名や折り紙の講習も行ないました。様々な国から来た100名を超える若者たちがこれに参加し、皆大いに楽しんでいる様子でした。学生たちにとっても、これがテゼの大群衆の中で自分たちの場所を見い出す機会になりました。それは本当に豊かな祝いの時でした!

テゼから戻ってしばらくの時が過ぎた今、この旅が日常生活の中で今も続いていると強く感じます。学生たちも、わたし自身も、これから何度もそれぞれの「夜」を体験するかもしれません。しかし、人生の意味への渇き、他者と生を分かち合っていきたいという憧れが、わたしたちを「前進させてくれる」ことを信じたいと思います。

Printed from: http://www.taize.fr/ja_article1665.html - 9 August 2020
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